2010年上半期に観た映画

さて、2010年も半分が終わりました。嘘みたいですが。
涼元の動向はと申しますと、今年は久しぶりの映画鑑賞ブームがやって来まして、合計6本延べ9本を映画館まで観に行きました。以下にその感想と紹介兼個人的覚え書きを。

●マイマイ新子と千年の魔法(4回鑑賞)
ここ何年か変動がなかった涼元的オールタイムベストでいきなり上位に食い込んできた、本当に本当に素晴らしい映画。
去年のロードショーを含めれば、なんだかんだで合計5回鑑賞。おかげで他の映画を観に行っても、マイマイ新子が始まらないと「あれっ?」と思う病気に悩まされ中。
ひとつの作品を味わい尽くす楽しさ、映画館で映画を観る楽しさを思い出させてくれた……挙げ句、勢いあまって気がつけば公共の電波に乗せて思いの丈を吐露している始末。何をやってるんだ涼元。
感想や鑑賞記は既にたくさん書いてるので以下から。

わたしの小さなたからもの(『マイマイ新子と千年の魔法』遅ればせながら礼賛) 

スズモトジェイピー模様替えしました&なぜかテレビに出た件&そもそも涼元はなぜ『マイマイ新子』を観に行ったのか

浜松シネマe_raにて5度目のマイマイ鑑賞

めでたいことに、7月23日にDVDも発売決定。でももう1、2回はスクリーンで観たい。
なんと公開から8ヶ月経った今でも上映が続いている…というか、新しい上映がひょっこり決まってたりするので、公式サイトでまめにチェックしてお近くの方はぜひぜひ
ハマれば十年二十年と心に残るであろう宝物のような作品なので。

●バグダッド・カフェ ニュー・ディレクターズ・カット版
大昔に観たけれど、なんかふわふわした感じしか覚えてないので再度の鑑賞。
冒頭の無駄にスタイリッシュに撮ったジャーマンケンカシーンに、「ああ、監督の才気爆発のオサレ映画だなあ」と嫌な予感を覚えたのも束の間、コーヒーポットのアップから物語は少しずつおかしな方向へ。
一癖ある人物ばかりが集う砂漠の真ん中の気怠いカフェ、併設するモーテルに滞在することになった太ったドイツのおばさん。彼女が幸運のマスコットとなり、関わる人みんなが幸せになっていく。
気がつくと、スクリーンを眺めながらにやにや眺めている自分。このおとぎ話みたいな展開に嫌味なく持ってかれちゃうのがスゴい。
ストーリー自体はツッコミどころが多く、特に後半の以降展開は、起承転結という言葉に抗うがごとくスーパーナチュラルになり(もっと映画的にフツーに引きが作れるって)、ラストに至っては「ここで終わり?」って感じだけど、『まあそういう映画じゃないから』ですんなり納得できちゃうのはジャスミンおばさんの人徳。若干のスノッブ臭も、独特の雰囲気形成に一役買っているので不問。
ちょっとお洒落でアンニュイで、でも前向きなメッセージに満足できる「いい映画」。

●アバター IMAXシアター3D吹替版
言わずと知れたキャメロン監督のSF超大作にして3D映画の先鞭。去年観た字幕版に続き2度目の鑑賞。
筋はもう知ってるし、二度観たら理解が深まるタイプの映画ではないので、楽しむべきところは3D映像の粗探しと吹替え台詞の2点。
まずは主人公の喋り方、想像より紳士的だった。
そしてヒロイン。最初のカタコトが酷い。これはオリジナル音声でもそうっぽいけど。
3D映像は想像以上に飽きが早かった感じ。ある意味自然にできてるからこそだけど、うーん。
その後、故あって途中退場。特に未練はなし。
エポックメイキングな映画だと思うし、娯楽大作として充分に面白かったけれど、自分には1杯食べればお腹いっぱいだった。
初回に字幕版を観た感想は、mixiに書いたのを修正して別にアップしたので以下から(観た人限定オマケつき)。

アバター(下部ネタバレ注意)

●エル・スール
尊敬するビクトル・エリセ監督の2作目。
昨今のハリウッドメイクに比べて筋立ては薄いし、伏線も謎も回収されない。でも、自分にとっては紛うことなき傑作。DVD持ってるのに浜松の映画館まで行っちゃうぐらい傑作。
冒頭の夜明けのシークエンスが泣くほど好き。場面場面が瞬きを忘れるほど綺麗。少女時代のエストレリャがしっかり者で可愛い。
でも、今では娘より父親に感情移入してしまう。
20年近く前、はじめてスクリーンで観た時には、ラスト近くで「娘は強くなり、引き替えに父は弱くなるんだなあ…」としみじみしたけど、今回は「いくら悪気がなくてもその仕打ちはキツすぎ」とエストレリャに説教したくなった。まあ、アルプスの少女ハイジを観ていても、ロッテンマイヤーさん視点から「この田舎のクソガキめっ!」とか思っちゃうお年頃だし。
うーん、エル・スールについては好きすぎて逆に語る気になれない。

余談:帰りのエレベーターで一緒になったご婦人が、「わたしはじめの方で寝ちゃったんだけど、最後どうなったの? あのお父さんは?」と訊ねてこられて困った。オーラスをネタバレしないように気をつけながら説明しつつ、『エル・スールで寝ちゃうようだと、あっちはもっとキツいよなあ』と内心思った。

●ミツバチのささやき
その『あっち』、泣く子も眠るビクトル・エリセ監督の処女作。
エル・スールよりもさらに筋がなく、楽しむより感じるタイプの映画。映像が暗くて(物理的に)劇伴が超々シンプルなこともあって、『観てると眠くなる名画』を選ぶならかなりの上位に来る。(ちなみに1位はぶっちぎりでサクリファイス@タルコフスキー)アナ&イザベル萌えだけで眠らずクリヤーできたら訓練されたおにゃのこ好き認定。
エル・スールに比べて、記憶とかなり違うところがあった。それに意味不明および複数解釈できるシーンが数カ所。調べるのは野暮。感じたままをずっと取っておきたい映画だと再認識した。
映像はもちろん見事。風が吹く荒れ野をアナとイザベルが廃屋まで歩いていくシーンや、死んだふりの一幕がたまらなく好き。
今回気になったのは、『マイマイ新子と千年の魔法』との共通性。『幼い女の子が見えざるものを見る』というテーマだから当然かもしれないけど、監督さんの意識下にこの映画があったとしてもおかしくない気もする。線路に耳を当てるところなんかモロだし。

●ハート・ロッカー
アバターを押さえて賞をたくさん取ったのと、ひさしぶりのリアル指向戦争映画ということで、かなり無理して観に行ったけれど、期待しすぎたせいかちょっと残念な感じだった。
戦場と日常の中間という、特異な舞台を描くことには大いに成功していると思う。独特の緊張感もある、映像もカッコいい、音効もいい。バレットM82での狙撃合戦など、ミリタリーテイストも充分。描こうとするテーマも興味深い。
でも、エピソードのひとつひとつが場当たり的で、心情線を連続して深くたぐれないため、『爆発物処理のやり過ぎで死の恐怖が麻薬と化してしまった軍人』である主人公が、単なる直情型で自己中心的なバカと区別がつかず、感情移入できなかった。その分裂症的な描き方こそがリアルでジャーナリスティックだと評価するのは穿ちすぎというか、作り手に優しすぎると思う。少なくとも自分は、もっといいやり方があったんじゃないかと考えてしまった。
あと、この主題を語るのに2時間20分も尺が必要か疑問。映画館で飽きそうになったのは『夢の涯てまでも』以来だった。いや、『夢の涯てまでも』ははっきり飽きたけど。


参考までに、観に行くつもりで結局スルーした作品。

●アリス・イン・ワンダーランド
19歳アリスの胸が3Dでどれだけ揺れるかだけでも見たかったのだけど、宣伝でマッドハッター@ジョニー・デップを前に出しすぎていて、じゃあ揺れないからいいやと観に行かず。

●Dr.パルナサスの鏡
モンティ・パイソン時代のテリー・ギリアムは大好きなれど、その後監督した映画はハズレの方が多いという認識。地元の小さな映画館でやってはいたけど、時間が取れず行けず終い。

●パリ・オペラ座のすべて
DVDを買うと思う。鑑賞用というより資料用にだけど。


そして、下半期に観る予定の作品。(7/1現在)

宇宙ショーへようこそ
借りぐらしのアリエッティ
ライトスタッフ
2001年宇宙の旅

……と、午前十時の映画祭 何度見てもすごい50本の宣伝っぽくなってきたところで終了。でもホント、いい映画は映画館のスクリーンで観るべきですわ。美術館にももっと行きたいなあ。

5月29日。
行こう行こうと思ってたけれどなかなか暇が取れなかった藤田美術館へ、満を持して赴く……はずが、のたのたしていたら午後3時になっていた。
慌てて地下鉄を乗り継ぎ、大阪ビジネスパーク駅に降りた時点で3時50分過ぎ。半泣きになりながらダッシュ、どうにか入場に間に合った。
閉館は4時半だから、30分しか観られないけど、まあよしとしよう。

病院の待合室のような廊下を抜け、展示室に入る。
旧財閥の藤田邸内にある蔵をそのまま改装して使っているそうで、重厚な窓扉や太い梁が見事。
二階の真ん中、ガラスケースに守られているのが本日の目当て、曜変天目茶碗
おおよそ5年に一度展示するという話なので、ぜひともこの目で見ておきたかった。

想像していたより小さい。
高台がきゅっとすぼんでいるから、黒い半球がわずかに宙に浮いているように見える。
器の中、瑠璃色に滲んだ斑点が、飛沫のように鮮やかに浮き出ている。
月並みな喩えだけど、宇宙。
それも……宇宙の全体図。
今まさに星が沸くように生まれている若い星雲と、漆黒の静謐が対峙している。
茶碗というより、装置のよう。
たとえば遠い未来、人類が宇宙を縦横に駆け巡る頃、はじめて宇宙船で旅行する子供が、父親にねだった星図盤。
それがこんな形だったら素敵だろうな。そんなことを考えていた。

堪能した後(敢えて言うなら、手のひらに納めてためつすがめつしたかったけれど)、他の展示品を押し気味に鑑賞。
『教科書に載る名品』の題目に偽りなく、歴史に明るくない自分にも、聞き覚えがある名前、見覚えがあるものがそこかしこにある。
結局、閉館時間の4時半を10分過ぎたところで、係員さんに声をかけられタイムオーバー。後ろ髪を引かれる思いで外に出た。

館内も展示も規模は小さめだけど、それが逆に上品な骨董品店みたいな、落ち着いた雰囲気を演出していて、大変に好印象。開いた窓から入ってくる風と自然光も気持ちよかった。
これはもう一度来ないと。次いつ観られるかわかないし。

当然これは、飲まないわけにはいかない心境。でもまだ日は傾きはじめて間もない。
一度京橋に出て、時間を潰すことにした
京阪ガード下のオサレ変貌っぷりにびっくりし、グランシャトー辺りのコテコテな大阪感が失われていないのに安心しつつ、行きつけの某店へ。

カウンターの隅に陣取り、まずはビールを一杯。早々に日本酒に切り換える。
そつなく揃っている各地の地酒と、相変わらずの素晴らしい料理を味わう。
いつも写真を撮ろうと思ってはいるけれど、箸より先にカメラに手が出た試しがない。
それでもなんとか3枚だけ撮れた。

白甘鯛造り 
白甘鯛造り


水茄子揚げ浸し
水茄子揚げ浸し


稚鮎一夜干し
稚鮎一夜干し

他には万願寺、白青のアスパラ二種、カマス、鱧など。
酒は日本酒をとっかえひっかえ五種。自分がちゃんと味わって飲める日本酒の量は四合だとわかってるのに、ついオーバーしてしまった。お会計もがっつり一人半ぐらいな感じ。
もちろん大満足。こっちにも再訪しなければ。

卯の花月夜/深酔探査機

5月27日、木曜日。
某タイトル打ち上げで、立食パーティーに参加した。
会場は隠れ家的なワインレストラン。飲み放題をいいことに、ワイングラスとチェイサーを両手に、赤やら白やらとっかえひっかえ味わい、気持ちよく半可通を撒き散らした。
二次会でビールと日本酒も入れて、気づいた時には終電間近だった。
慌てて散会し、駅に向かったけれど、モノレールはとっくに終わっていたし、十三で連絡する電車もなかった。
仕方なく、最終の鈍行に乗った。
乗客もまばらになった頃、最寄りの高架駅で降りた。

通りに人影はない。
シャツだけでは肌寒い夜気。七割方空を覆った雲が、やけにのっぺりとしている。ところどころに星が覗き、黄色な満月が高くに滲んでいる。
ペンキの書き割りのようで、どこかぎこちなく、芝居がかった夜。
ここから家まで5キロほど。
酔い覚ましにはちょうどいい、歩いて帰ろうと思った。

歩道を何歩か進んで、妙な悪戯心が頭をもたげた。
電信柱に片手をかけ、周りを一周してみた。
ぐるん、と、視点が急速に揺さぶられ、冷めてきたはずの酔いが残り火みたいにぽっと灯る。
うん、これは気持ちいい。
ルールを定めた。

『これから家までの道のりにおいて、目についた電信柱や交通標識、街路樹、その他全ての柱の類を必ず一週回すること』

二つ目の柱、今度は消火栓の赤い柱だ。
難なくクリヤー。そのままの勢いで斜めに航跡を取り、次の電信柱に近づいて……
壁と柱の間に思いっきり挟まった。痛い。
条文追加。

『ただし、物理的に周回が困難、または不可能な場合は無理に通らなくてもよい』

前方20メートルほどに電信柱、コンクリート製、支索つき。
その裏を通れるか通れないか、瞬時に見極める。よし、クリヤー、コースを微修正。
ぎりぎりで右腕を伸ばし、電柱を捕まえた。
一八〇度回り込んだところで、今度はすかさず左腕を伸ばす。
黄黒の警戒色に塗られた斜めな支索を掴み、縫い取るように回る。
勢いを一切落とすことなく離脱、さらに次の目標を目指す。

まったく、これは何なんだろう?
ヨットレースのペナルティー、艦載機のタッチアンドゴー、惑星探査機のスイングバイ。
どれでもいい、ひどく楽しいのに変わりない。

二〇ほどクリヤーしたところで、路肩に泊まっているタクシー、客待ちの運転手がこっちをちらっと見たのに気づいた。
人畜無害な酔っぱらいです。ご心配なく。
笑顔でそう訴えつつ、大通りからひとつ逸れた。

暗い道。等間隔に並んだ電柱、その日の舞台が終わり、無造作に立てかけられている大道具。
ひとつひとつ、労をねぎらう支配人みたいに、手のひらをかけて周囲を廻る。

自分があの電柱なら、どう思うだろう?
触ってくれる人はいないだろう。
建てられた時、時々の電線工事の時、そして引き抜かれる時。
後は……たまに誰かが吐く時の支えぐらいか。
それから、フレッド・アステア気取りの酔っぱらいが、町を舞台に見立てている時。
呼吸が弾み、意味のない高揚感を連れてくる。

「自分は自由だ、なんでもできる」
そう唱えただけで、自由になれる。

教えてくれたのは、リチャード・バックの本だ。
でも、本当は違う。
たとえそれが何であれ、自分に思いつかないことは、できない。
有意義なこと、くだらないこと、有益なこと、無意味なこと。そこに差異はない。
思いつきもしないことが、世界にはたくさんある。
電信柱も標識も、今まで確かに存在していた。
今まで生きてきた朝、昼、夜、何千本、何万本のそれの脇を、通り過ぎてきたはずだ。その存在さえ気にかけることなく。

いや……違う。
出し抜けに思い出した。

子供の頃、夕暮れ時、下校路。
小学校のグラウンドに沿った細い道。踏切に向かう三叉路の角、コンクリートブロックを積み上げた壁際が、車の衝突除けなのか蟻塚みたいに盛り上がっていて、そこに電柱が植わっていた。「ここを通ると楽しいよ」と言ってるみたいだった。
あの電信柱の裏側を、くるっと廻って駈け抜けた。
電信柱を捕まえた腕をいっぱいに伸ばし、体ごと勢いを乗せた。ランドセルの縁を壁に擦ったけど、そんなのは気にしなかった。
長く落ちた影法師と一緒に、後に続いてれた友達の笑い声。近くにあった料理専門学校から、なにか炒め物みたいな、いい匂いが流れていた。明日、駄菓子屋に行く約束をした。新しく入ったゲームのことを教えてもらった。インベーダーみたいだけど、敵が上から降りてきて宙返りして、一〇〇倍ぐらい難しいと言った。早くやってみたいと思った。

鮮明すぎる記憶に、戸惑う。
子供のころの下校路が、オトナの自分につながっている。
今、アルコールと夜陰とを燃料にして、同じことをしている自分。
耐えられず、笑ってしまう。

一時間ほど繰り返し、この歩き方が自然になってきた。
非日常の高揚が、単純作業に変わっていく。
何も考えなくても、一連の動作を最小限の手間でこなせる。編み物みたいに温度の低い充実感。 隙間ができた頭に、また誰かの言葉が灯った。

彼ニトッテノ幸セトハ、体ノドコモ痛クナクテ、自宅ノ近所ヲ奥サント散歩スル光景ダッタ。

これは……ああ、『散歩もの』だ。
言葉の端々は違っているかもしれないけれど、確かこんな感じだった。

彼ハ本当ニ本当ニ、散歩ガシタカッタ…

別の言葉が浮かぶ。
今度は……萩原朔太郎だ。

不思議にさびしい宇宙の果てを、友だちもなく、ふわりふわりと昇っていこうよ。

誰もいない夜道、蓄えた言葉のカケラを航跡に煌めかせながら、漂っていく酔っぱらいの探査機。

ふと、立ち止まった。
耳についていた風音が絶えて、それを自分が作り出していたのに気づいた。
今、自分が回ろうとしていたコンクリートの柱が、目の前にある。中空にめぐらした電線と腕木で、遠い満月をひっかけている。
誰もいないことを確かめてから、両腕で抱き締めてみた。
そしてまた、何気ない風に歩き出した。

母星からの通信を受け取ったみたいに、自分の中のもの書きが囁いた。

他人ノ言葉ニ頼ルナ。
他人ノ感傷ヲ盗ムナ。

OK、煩い、わかってる、黙れ。
箴言として受け取っておくから。

知らない方に突き進もう。自分をもっと変えていこう。もっと遠くに、もっと深淵に……
二十年前の自分が、自分にそう課したように。
大きなお屋敷の塀の縁、こぼれるように卯の花が咲いて、五月の月明かりを受けている。

寝静まった町、血液のように車を流す新御堂筋をくぐって側道を渡り、路地に入った。
いつもの通勤路に合流し、ほっとする自分。
引っ越して一年と三ヶ月。ようやく自分の町になってきた。
道は川沿いに曲がっていき、ゆるやかな登り坂になる。

最後の電信柱を丁寧に一周すると、坂の上に小さな瓦屋根が見えた。
一時間ちょっとのはずの道のりに二時間半かけて、我が家に到着した。

蛍光灯を点け、薬缶で湯を沸かしながら、いつもの癖でノートPCを起動させる。
見慣れたWindowsXPの起動画面、急速に戻ってくる日常に取り残されて、手のひらにはまだ、夜道に立ち並んだ無機物たちの感触がある。
少しだけ気恥ずかしい。

「ああいう夜もあったなあ」と、思い出すんだろう。
今ではない、いつかにつながった未来に。

根津美術館&サントリー美術館鑑賞

5月5日。
ゴールデンウィーク2度目の美術鑑賞。
今度のブツは花の都東京は根津美術館収蔵のアレ。

紅白梅図屏風見たさに毎年2月MOA美術館詣でをする光琳萌え野郎としては、前々から観たいと思っていた大物。なれど、何かというと補修してる上に、紅白梅図屏風と同様、その花が咲く季節にしか展示しないため、なかなか機会に恵まれなかった。

今回ようやく念願叶う。感無量。
あと、最近出不精が極まっている父を引っ張り出すのも目的のひとつ。

JR静岡駅。入線してきた700系のしゅっとした鼻面に、「新幹線ってのはこんな形だったか?」と怪訝そうな父を伴い、混み合う車中に腰を落ち着け……ようと思ったら、3列席の端が絵に描いたような外国人旅行者さんで、おニューの一眼レフデジカメ片手に大はしゃぎ中。生温かく見守りつつ(いいから座って落ち着け)、ものの1時間で品川へ。新幹線速い。

山手線で渋谷、銀座線で表参道下車、さらに徒歩5分で根津美術館着。思ったよりフツーに街中にあって拍子抜け。以前に来た印象から、もっと全体が緑に囲まれていると思っていた。

オシツオサレツっぽい生き物を模った入場券を2枚買って、シンプルな内装のロビーに入る。
端午の節句という最高の日取りもあり、当然ながらの混みよう。とりあえず展示室へ。
特にもったいぶるでもなく、いくつかの豪奢な屏風(これらも名品)を露払いとした先に、それはあった。

尾形光琳作『燕子花図屏風

一見の印象、「軽い」。
正確には、かろやかというべきか。
下地の金と、葉の緑と、花びらの紫、たったそれだけの構成。
主線がなく、いかにもすっと力を抜いて描かれているけれど、その実計算しつくされているのだと思う。ディティールが色に溶け込んでいるせいで、花も葉も風に揺られ、陽に揺らいでいるよう。印象派を何年先駆けてるんだと呆れるけれど、このしがらみから無縁な佇まいを前にしては、技法云々なんか野暮そのもの。頭がかちりと切り換わる。

燕子花が音符で、その並びが楽譜。
そう喩えるのはアリだけど、ありがち。
さらに踏み込み、奏でられる曲がどんな『音』なのか、できるだけ具体的に想像してみる。
ヴァイオリンでもない、ピアノでもない、琴でもない、リコーダー、チェンバロ……近いけど違う。ごく薄いガラスの筒、高く響く金属の鈴、もっともっと軽やかな音……メロディーはどうだろう? 雅楽、印象派、バロック、現代音楽……当て嵌めては首をひねり、より近い調べを探っていく。
これは楽しい。かなり愉しい。

たっぷりと20分ほど、自己流鑑賞を堪能した。
響きの余韻を楽しみながら、広い庭園を散策する。
中央の池にこれでもかと植わっているリアル燕子花を眺め(ベスト撮影ポイントは大行列)、併設の喫茶店ににべもなく振られ(こっちも行列)、結局また、燕子花図屏風の前に戻ってきた。
さっきよりさらに混んでいるけれど、折良く作品前の椅子が空いたので、ここぞと陣取り、さっきよりはもう少し穏やかに印象を焼きつける。

他の展示も充分に楽しみ、1時間半ほど後、根津美術館を辞した。
どんなに有名な作品でも、自分の目で見なければやっぱりダメだなあと再認識させられた。
もちろん大満足。

まだ日が高い。
となればここはハシゴだろう。
じわじわ汗をかきながら徒歩で青山霊園を突っ切る。「この辺にあんな建物あったか?」と、彼方に聳え立つ六本木ヒルズを見て怪訝そうな父を伴い、サントリー美術館へ。

こちらの出し物は、『和ガラス ―粋なうつわ、遊びのかたち―
17世紀からの和製ガラス製品を、芸術性や技法ではなくあくまで用途によって分類して見せるという趣向。いい感じ。

小洒落たグラス、徳利、鉢、小皿、エトセトラ。
骨董好きの涼元父は、最初からかぶりつき状態。
国宝燕子花図屏風に比べれば、たしかにぐっと身近&お手頃な感じ。もちろん買えないけど。
骨董にはあまり明るくない息子にしても、こんなのが普段使いできたらどんなにいいだろうと思うものあり。まあ、使ったら早晩割るけど。
フロアが替わると、装飾品がメインとなる。
溜息が出るように美しく繊細な細工物ばかり。金魚玉、風鈴、雛道具。
中でも細いガラス棒を竹ひご代わりにした虫籠がスゴい。
こんなの使えるのはどんな金持ちだか……というのもあるけど、何より無事に残ってるのが。壊れるって、絶対。リアルに割るとこ想像できちゃうし。

サントリー美術館を辞し、そろそろ空腹なれど田舎者にはあまりにオサレすぎる東京ミッドタウンでの一服を諦めて、六本木のテキトーな喫茶店でアイスコーヒーのみ腹に入れる。
それから秋葉原にて、火山灰をかいくぐって日本に帰ってきた涼元姉と合流。
見てきたばかりの美術品の印象を肴に、例によってヱビスビール。

大変充実した一日だった。色々な意味で。
父も疲れてるっぽいけど楽しんだ様子。つーか、息子に引っ張られるでもなく、たまには自力で遠出してください……などと言っていたら、「関西に住んでるのになぜ観に行かないっ!」とばかりに、松林図屏風を強力に薦められてしまった。

ううう、墓穴を掘ったかも。

5月3日の午後。
静鉄県立美術館前駅で降り、やっと初夏っぽくなってきた陽気の中を、エントランスの坂をだらだら登る。駐車場はほとんど満車らしい。連休ただ中とあって、ピクニック目当てを含めてかなりの混みっぷり。いつもこの辺りにいる野良猫連中も、稼ぎ時とばかりうろうろしている。

徒歩15分ほどで静岡県立美術館着。
今日の目当ては、樹花鳥獣図屏風
収蔵品とあって美術館的にも一押し、そこかしこにレプリカがあり、撮影も可能。ぞうさんととりさんがとっても可愛くキャッチーだし、記念撮影でも人気の様子。

樹花鳥獣図屏風のレプリカに見入る人々(気が早い)

そして本物は、展示中央あたりに鎮座していた。

「…なにこれ?」というのが最初の印象。
存在感からして特異。どの系列にも属さない、突然変異的な技法。たぶん日本最古のドッター。注文生産でこれをやったらクライアントに激怒されると思う。日本画というよりむしろ、アンリ・ルソーを連想してしまう。全体から『描いてて楽しかっただろうなあ』と伝わってくる。
『怪作』であると同時に『快作』。
個人的には、無難な風景画よりこういうのをたくさん買ってほしい>静岡県立美術館。

他にも、雄鶏が凛々しく雌鳥が優しくひよこがかわいい群鶏図もろもろとか、エロ根菜ストリップショー(殴)こと果蔬涅槃図とか、有名どころや大作が展示されていたし、自分ちに飾っておきたいような洒脱な小品もちらちらあったけど、結局樹花鳥獣図屏風の前で何度も立ち止まってしまった。印象強すぎ。

おおむね満足。
ただ、象鯨図屏風が前期展示だけで見られなかったのが心残り。
こちらは信楽のMIHO MUSEUM収蔵らしいので、機会があったら行ってみたいなあと。