2024年、秋のとある吉日、午前10時頃、南部駅前に降り立った。
本来なら五月末に訪れる予定だったのが、色々あって今日になってしまった。
ほどよく日が射し、ほどよくいい天気。とりあえず、駅前をぶらぶらと歩く。よさげな飲み屋もあればコンビニも喫茶店もある、コンパクトで住みやすそうな町。
海岸沿いに出る。広い砂浜、波打ち際では女子高生と思しきグループが戯れ、道の脇では曼珠沙華が咲いている。
全く知らない土地の情景に触れ、久しく忘れていた旅情がいよいよ高まるのを感じる。そう、今回の目的地はここではなく、この町のすぐ隣にこそある……
つつがなく時間を潰し、そして時が来た。
駅前のパン屋さんで昼食用のパンを買い、ホームに戻る。
ほどなく列車が来た。二両編成のワンマン車。もちろん鈍行、鈍行でなければならない。
最前のドアから乗り、整理券を取ってベンチシートに座る。
そう、この旅本来の目的地。それは──
『紀勢本線各駅停車南部の次の岩代駅』、である。
自分ひとりが電車を降りると、そこでは『人気のないホームの古いベンチ』が待っていた。
ぶっちゃけそこまで古くはないけれど、いきなりテンションが上がる。無人駅になったことは知っていたので、最悪、ホーム上の設備は撤去されていることも覚悟していた。
まずはベンチに座り、買っておいたパンを食べて腹ごしらえする。(ちなみにこの3個で確か370円税込。物価がバグってるにも程がある。そして美味しい)
人心地ついた後、ここに来たからには当然やらなければならない行為を実行する。
おもむろにイヤフォンを装着し、スマートフォンに入っているとある曲を再生した。
……わけがわからないよという方も多いと思うので、遅蒔きながら説明を。
テングサの歌、シンガーソングライター谷山浩子が作詞作曲した歌唱曲。
自分がはじめて聴いたのは、たぶんラジオ番組、『谷山浩子のニャンニャンしてね』か『谷山浩子のオールナイトニッポン』の番組内だったと思う。つまり1984年前後。
かわいい曲調に反したちょっとファンタジックというか、ぶっちゃけて言えばグロテスクな歌詞は、一聴して深く印象に残った。その冒頭はこんな風に始まる。
『紀勢本線 各駅停車 南部の次の岩代駅の
ひと気のないホームの古いベンチの上にあたしはいるの』
それからずっと、岩代駅に行ってみたい。しかも南部駅から各駅停車に乗って行きたい。そして無人のホームのベンチに座ってフワフワしてみたいと思っていた。
三十有余年の時を経て、ようやく念願を叶えることができた。
3ループ聴いた後、とりあえず満足した。
それからホームと駅舎、駅前をひたすら撮影した。(途中下車扱いなので改札内外を行き来し放題。(まあ無人駅だから切符がなくてもフツーに入りたい放題ではあるけれど)
年季は入っているものの最低限の手入れはされているコンパクトな駅舎。
脇にあったお稲荷様の祠で、無事ここにたどり着けたことを感謝した。
そしてホームに戻り、蔦に囲まれた駅名標を念入りに撮影。
そこには確かに、人間の手を離れ自然に帰ろうとしている人工物の儚さと美しさがあった。
(※すみません、色合いとかそれっぽく後加工しました)
これでやるべきことはやった。が、帰りの電車が来るまではあと1時間ある。
駅周辺を散策することもできたが、敢えてベンチに戻る。
そう、むしろここからが今回の核心だ。
このベンチに座ったからには、『何万年でも何億年でもずっとこうしてぼんやり』するのが筋だからだ。
そんなわけで、誰もいないホームで全力でぼんやりする。
何もなさすぎて退屈するかと思ったらさにあらず。『汽車の時間に汽車が来ない』『道は見えるが車は通らず』どころか、ちょっと離れた道路では、わりとフツーに車が行き交っている。そしてわりと頻繁に汽車(電車だけど)も来る。汽車の時間に正確に来ては数秒で通り過ぎていく。
それでも、時々は静寂が訪れる。
気がつけば、口笛を吹いていた。
扉、日だまりの少女、カントリーガール、夕焼けリンゴ……
今、この瞬間に流れるべき曲たちが、自然と口をついて流れる。
はじめて谷山浩子を知って数十年が経っている。あれから様々なアーティストの、たくさんの曲に触れてきたけれど、自分の奥底に根付いているものはそう簡単には色褪せないことを再認識できた。
正午を回った頃、少し風が強くなり、空気に秋らしい気配が混じりはじめた。
綺麗に清掃されたトイレに寄って、手早く帰り支度をした。
数分後、定刻通りに普通御坊行きが来た。
電車に乗る前にもう一度振り返った。
そして、思った。
あのベンチには今も、十代の頃の自分が座っている。
今の自分は電車を乗り継いで、夜の街で一杯ひかっけて、きっといい気分で家に帰って、この旅行の一部始終をそれっぽくまとめてブログに載せ、いい思い出にするのだろう。
そうしてきっと……あのベンチに戻ることは、もうないのだろう、と。
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その後&余談。
車窓で気になったものなど。
車両の窓が広い上にベンチシートなので、所によっては向こうに海しか見えず、千と千尋の神隠し気分が味わえた。
岩代駅前後は線路がちょうど海沿いで、まさに紀伊半島に添って走ってる感が強くてよかった。
初島駅近くの石油プラント。山合いの風景をぼーっと眺めていたらいきなり来たので度肝を抜かれた。後で調べたら、『2023年10月をもって石油精製機能を停止しました』とのこと。
無事新大阪まで戻り、いつもの店で聖地巡礼の成功祝い。(予定調和)
越の鷹 純米イエローホーク。ぎゅっとした、でもやさしいお味。
お造り盛り合わせ抜粋。鯖きずし、鮪脳天、そして抜群に美味かった鰤、見えない端に鯛。
デザートにいちじくのコンポートとバニラアイスをいつものたこシャン(スパークリングワイン)で。
親方に本日旅行の旨を得意げに話す。音楽の嗜好も違うし、当然通じるわけはないんだけど、「それ、駅前でテングサは売ってませんの?」と合わせてくれたのは嬉しかった。うん、たしかにそれはそう。俺なら絶対買ってベンチに置いて写真撮るし。生の天草が難しいなら寒天でも可。
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総括。
長年の宿願すぎたせいで、逆に今更行っても義務として喜ぶだけになっちゃうだけなんじゃないかなあ……正直そう思ってもいたけれど、実際には自分でも意外なほど嬉しかったし、興奮したし、達成した充足感もスゴかった。
やりたいことはいつやっても価値がある。
改めてそう気づけたのが、いちばんの収穫だったのかもしれない。
あと、谷山浩子の楽曲は絶望的に旅行中に合わないのを知ったことも。
註01:帰りの列車内では谷山浩子ではなく鈴木祥子を聴いてたのはここだけのヒミツ。だって浩子さんの曲、暗くした部屋で独りで聴くなら最高だけど旅情はほぼ皆無なんだもん。
註02:この記事本文中ではどういう趣旨の歌詞なのかは敢えてボカし目にしたので、ちょっとでも気になる方はぜひぜひ原曲『テングサの歌』御一聴を。
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蛇足。
いい感じの酔い加減で自宅に帰り着いた後、改めて腹ごしらえをした。
復刻成った青春という名のラーメン、これもまた、自分にとってはまさに青春の味。記憶の中では麺もかやくももっとチープだったけれど、美味しくて驚いた。そしてめっちゃ味が濃い。それはきっと、自分側の変化も大きいのだろうけど。ヒント:加齢)