プラネタリウムと雨後の月

7月1日。
終日降ったり止んだりの、じめじめした一日。
溜まりに溜まった洗濯物や家事を片付けて、午後二時過ぎに雨を縫って家を出た。
保つかと思った空が、すぐにまた泣きだした。あわてて折りたたみ傘を取り出す。
蒸し暑い空気の中、竹見台の坂をじりじりと登り、南千里駅に到着。
今日の目的は千里市民センター。ここにプラネタリムがあると知ったのは数日前だった。
近くに越してきて三年が経つのに、こんなに近くにプラネタリウムがあるとは思わなかった。灯台もと暗し。しかも、新しい市民センターが秋にオープンするので、プラネタリウムは八月末に終了するという。週末土日、それぞれ二回だけの投影だというから、もう三十回ほどしか鑑賞の機会はない。気づいてよかったのか、もう少し早く気づくべきだったのか。

プラネタリウム投影室入り口


古めかしい階段を三階に上がり、窓口で料金を払って(大人100円子供50円、安すぎる…)、手作りっぽい装飾が微笑ましい投影室へ。
直径10メートル、今どき貴重な平面放射状の客席は、もう3/4ほど埋まっていた。ほとんどが小学生ぐらいの子供たちとその親御さん。男一人の淋しい観客は自分以外にはいな…いこともない。閉館が近いからマニアが来ているのか、昔ここで星空を見た元天文少年が、別れを惜しみに訪れているのか。自分は完全に前者。

南西側が見える最前列に陣取った。

南千里プラネタリウム投影機(minolta)

投影機が古色蒼然とした二球式で驚く。それもミノルタ製だ。ロゴがMINOLTAではなく、小文字のminoltaなのに個人的な感慨を覚える。もう二十五年以上前、自分がはじめて買ってもらった一眼レフカメラがminoltaSRTsuper、ペンタプリズムにはこの旧ロゴが刻印されていた。
規模としては中型機、となるのだろうか。端正な形をしている。そうと思うと同時に、様々な補機類がCクランプで固定されているのを見て、歴戦の勇士にこちらも襟を正す。耳軸を支える主柱にクリスマスのような電飾が巻かれているのに、そこはかとない悲哀と同時に、ほわっとした愛着を感じる。

背もたれを倒して、ざわつきの中ゆったりと開始を待つ。
照明が落とされ、投影が始まった。
ベテランとおぼしき解説員の流暢な声で、お約束のドーム内での注意事項から、プラネタリウム内での天頂のありか、そして東西南北が示された後、旧式投影機特有のオレンジにくすんだ太陽が西の地平線に沈んでいく。
そして、銀の針を射したような満天の星空。
この瞬間が、プラネタリウム鑑賞でいちばん感動的だと思う。
投影プログラムの内容は…良くも悪くも「ああ、昔のままなんだなあ…」という印象。
よく言えば子供に媚びを売らない、悪く言えばプラネタリウムが文化啓蒙施設だった頃の学習テイストがプンプンする。
今宵の星座解説の後、絵柄に統一が取れていないヘラクレスの物語を、楽しくもどこか気恥ずかしい感じで鑑賞する。投影される星像も正直シャープとは言い難いし、スライドプロジェクターを手動でガチャガチャ操作する音も正直鬱陶しい。
でも、自分は嫌いじゃない。昔の機械はみんなこうだったし、投影プログラムもこうだった。みんな疑問にさえ思わなかった。 ただ、プラネタリウムに来た。それだけで本当にワクワクして、難しい解説さえ一言一句聞き漏らさないようにしよう…そうやって僕らは、いっぱしの天文少年になったんだと思う。

やがて七月の特別テーマ、『恐竜は鳥になったのか』が始まった。
内容は興味深く専門的で、「え、そう持ってくるんだ!?」という驚きもあり、なかなか楽しめた。
でも…これは確かに、このままの形で世に残ることは最早ないだろう。そうも実感した。
四十五分の投影が終了し、建物から外に出た時、雨が止んでいた。
終館まで、もう何度かあのミノルタの投影機に会いに来るんだろうな。そう思った。

なくなるものがあれば、新しくできるものもある。
先週オープンしたばかりのコーヒーショップ兼輸入食材店カルディに寄って、特売の生ハムやらneoのジンジャーエール(モスコミュール専用!)やらをホクホク顔で買った。カルディは静岡にはたくさんあるのに、大阪ではあまり見ないから、ごく近くにできてくれたのは正直かなり嬉しい。
それから、隣の酒屋で今日飲む日本酒を一銘柄見つくろい、南千里を後にした。
もう上がるかと思った空から、また雨が落ちてくる。まさに梅雨の只中だ。それでも敢えて、水田と竹林に挟まれた路地を遠回りする。きっと何百年も前からそのままの、水と土の匂い。
いきつけの魚屋で自家製鰹たたきと脂の乗ったサーモンを柵で買い、いつものスーパーでちょっと上等な豆腐と枝豆を一袋買った。
自宅近くの坂道、オシロイバナが咲いているのを見て、一枝手折らせてもらった。
両手に戦利品を満載にして、帰宅。

まずはオシロイバナを一輪挿しにした。平屋の家の中、ここだけが夏の香りだ。
鉄鍋に昆布を敷き水を注ぎ、昆布がよく戻ったところで豆腐を入れて弱火でじっくり温める。
醤油とみりんを合わせて煮立たせ、即席の豆腐ダレを作る。
枝豆の鞘頭をキッチンばさみで落として塩で揉み、寸胴鍋にたっぷりの湯で茹でる。
包丁を研いでサーモンと鰹を造り、今年はじめて育てている紫蘇の葉を敷いた。

オリオンビールと枝豆

手始めに、茹で立ての枝豆と買い置きのオリオンビール、敢えて缶から直に。
ものの三分、日本酒に移る。

湯豆腐、サーモンと鰹のたたき、日本酒(雨後の月)

今買ったばかりの酒を封切る。『雨後の月 純米』、単に名前だけで選んだので、呉の酒であることも今知った。

ずっと、梅雨には湯豆腐というイメージがあった。
なにかの小説の影響だとはわかっていたけど、長らく忘れていたのが最近発覚した。池波正太郎だった。
豆腐と昆布がいいものなら、シンプルな味付けは梅雨にも似合う。きっと鱧と同じ理屈だ。鱧も豆腐も水が育む。固形燃料の焜炉を使うと、食べているそばから汗だくになるのだけがいただけないけれど。

堪能しつつ、網戸の向こうを見遣る。
一日降ったり止んだりの空が、近づく夕闇にようやく晴れ間を覗かせている。
今宵は月は出るだろうか?
舌先で酒を転がしつつ、そんなことをぼんやり考えていると、視線を感じた。

やってきた猫(両ぎざみみ)

 

いつも辺りを巡回している半野良猫、通称『両ぎざみみ』が、「いつになったらこっちに気づくのか」と言いたげに独酌の様子を見ていた。 相手をしてくれているつもりらしい。

「…月は出るかねえ?」
グラスを片手に訊ねてみたら、「ひゃん」と声をあげた。

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このブログ記事について

このページは、涼元悠一が2012年7月 1日 22:16に書いたブログ記事です。

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