2012年6月アーカイブ

高校時代に見た星は

6月某日。
所用で実家に戻ったついでに、ひさしぶりに愛車しろやぎ号(MTB)を引っ張り出した。
ごついブロックタイヤをごろごろ言わせながら、新緑のかぶさった昔の通学路をのんびり辿って、かつて通った高校まで行った。
敷地の裏手、体育館と弓道場に挟まれたスペース。
4階建ての小さな鉄筋コンクリート造りの建物には、古びた天体観測用のドームが乗っていた。通称別館。地学部員として3年間、面白おかしく馬鹿馬鹿しくも大真面目に活動した思い出の場所は、全くの更地になっていた。
実家に送られてきたOB会誌で、取り壊されたとは聞いたけれど、自分の目で見るまで実感は湧かなかった。そして、実際に見たところでやっぱり、「ああ、そうか」としか思わなかったし、郷愁も感慨もなかった。

俺の高校時代があったことは、もはや俺の中にしかない。

悲しいのではなく、子供の頃の他愛ない約束みたいに、だからこそ自分だけに価値あるものの沈殿。それが照れくさく、嬉しくもある…この感覚が、きっと歳を重ねるってことなんだろうなあ…
またペダルを踏み込みながら、そんなことを考えていた。

…そんなわけで、2006年のフリー時代にとある出版社のWebサイトに掲載された拙エッセイを再掲。そちらのサイトも、今は出版社ごとなくなってしまいました。

 

 

高校時代に見た星は

フリーに戻って、仕事がらみで東海道新幹線に乗る機会が増えました。
大阪-東京間の移動中、海側の席に座ると、必ず車窓から目を凝らしてしまうポイントがあります。静岡市清水区――合併した今も、そこは私にとって清水市ですが――、東名清水インター近くにある公立高校の校舎と体育館、その裏手に、四階建ての小さな別館があり、天体観測用の銀色なドームが屋上にちょこんと乗っています。
中には、口径26センチの反射赤道儀があるはずです。

高校生の頃、まったく勉強しませんでした。
授業中はいつも考え事をしていました。
死とは何だろう? 世界とは何だろう? 思いのままにできないのなら、なぜ自分がここにいる必要があるのだろう?
どれもこれも、頭でっかちな十代少年につきものな、哲学もどきの思索もどきです。自分以外には悩みなどなく、受験勉強なんかしてる奴らは、頑張っているように見えてちっぽけな未来の地位保全しか考えていない……今思えば、不遜もいいところなのですが。
本来なら登校拒否、流行りの言葉で『ひきこもり』になっていておかしくない自分が、なぜいそいそと毎日(実際は時々サボってましたが)学校に通っていたか?
そりゃもう、部活が面白すぎたからです。

地学部……活動内容は地質と天文を兼ねていましたが、私がやっていたのは後者、天文班です。
女子は昼間専用の太陽班に所属する決まりになっていて、天文班は完全なる男所帯でした。校内に部室があり、昼間はそこで雑談をし、あれやこれやと悪だくみを仕込み……
実際の活動は、夜からが本番でした。
今でこそ、時間外に校内に立ち入ることなど許されませんが、当時はまだのんびりとした時代でした。別館の天文台には天文班の部員たちが事実上自由に出入りし、自由気ままに振る舞っていました。控え室の壁を勝手に塗り替えて絨毯を敷き、私物を持ち込みまくりました。個人装備の望遠鏡や双眼鏡はもちろん、なぜかシンセサイザー(ヤマハ DX7)やパソコン(PC-8001)までありました。テストの前には勉強道具一式を携え、自主合宿をする者まで出る始末。それでも酒や煙草は決して持ち込まず、後輩が隠したエッチな本が見つかった時も、一通りチェックしたあと不心得者を懇々と説教するなど、自分たちなりの妙な紀律は存在していました。

別館は部員たちの根城で、夜の校内は領地でした。
曇れば当然することもなく、暇にまかせて探検と洒落込みました。「あそこの鍵が壊れてる」なんて情報をなぜかだれかが知っていて、それを元に校舎の中に忍び込み……忍び込んだからといって、別に何をするでもありません。どうにかルートを開拓して校舎の屋上に初登頂し、全員で組み体操。それだけで、偉業を成し遂げた気分になりました。
深夜のプールで泳いだこともありました。
闇の中、見えない水に浮かんでいると、自分の身体が存在するのかわからなくなるような感覚に包まれました。潜水してから水底で体勢を仰向けに変えて、ゴッホの絵のように滲んで揺らぐ満月を見ました。
体育館も使いたい放題、バレーもバスケも下手なりにやり放題でした。

もちろん、ちゃんとした観測もしました。
観測ドームのスリット開閉装置は、本来チェーン駆動でハンドルを回せば開くのですが、私たちの数代前に完全に壊れていました。内側から角材であっちをつつき、こっちをつつきして、小一時間かけて開くというテクニックが先輩から後輩に伝授されたものです。
全開してから雨が降ろうものなら、また角材をふるってスリットを閉める羽目になります。晴れ乞いの呪文と怒号が部員たちの間に飛び交い、やがて始まるのはもちろん、犯人ならぬ雨男探しです。
首尾よく観測態勢が整っても、そこからが大変です。
基礎がきちんとしていないせいで、ドーム内でだれかが動くたびに星像が揺れます。高校があるのが街中なので光害もひどく、極めつけは地元キャバレーの回転ネオンです。戦時中のサーチライトのように、夜空を煌々と照らしていました。これが夜半まで続きます。
環境は劣悪でしたが、部員たちの熱意と士気はいつでも無駄に高いものでした。
天文薄明が始まる頃、買っておいたカップラーメンに、電気ポットで湧かした湯を注ぎます。今日はもうダメかなあ……なんて、徹夜近くの頭で思っていると、ベランダで見張りをしていたあきらめの悪いだれかが叫びます。
「雲が切れたっ!」
あれほどぶ厚かった曇天にほんの少しだけ隙間が空いて、たしかに星が輝いています。
みんな先を争うように、狭いハシゴを登って観測室に入ります。
やがて、主鏡の視野にようやくお目当ての惑星や星雲、星団が導入されます。
ドームに歓声が響きます……

高校時代の部活のことは、いくら書いても書き足りません。
春夏の遠征合宿の顛末、機材一式担いでの登山、学校祭展示での奮闘、自作プラネタリウムの星空……十代の頃、仲間たちと過ごした時間と何も考えずに見た星に、どれほど多くの価値があったのか、伝えきる自信はありません。
新幹線からドームが見えるのはほんの数秒ほどです。夜は本当に注意していないと、見つけられないまま通り過ぎてしまいます。あるいはいつか、時代遅れの文化部活動と共に、老朽化したであろうそれが本当になくなる日が来るのかもしれません。
幾ばくかの感傷に浸りながら、もの書きになって久しい心のありかを覗けば、今もおんぼろドームの中、アイピースに眼を押し当て、薄明の空を見つめている自分がいます。

 

 

今回はこんなところで。
初心を見つめ直したら、戻れない場所でなくこれから行ける場所を目指すように<自分。

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